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   講師履歴 teacher's history   

 

◆ 長廻かおる(ながさこかおる)プロフィール ◆


  1. 国立音楽大学ピアノ科卒業後渡欧。
  2. ウィーン国立音楽大学にてピアノ演奏と音楽教育法を研究。
  3. オーストリア国立音楽大学教授国家資格を最優秀で取得。
  4. 同校卒業後オランダ王立音楽院にて古楽器を使用しての演奏を研究。
  5. 帰国後、出産を機に、もう一度基礎から音楽を勉強するチャンスに恵まれ、大脳発達生理学及び幼児発達心理学を研究。
  6. 群馬県にてピアノ・絶対音感・リトミックの指導を始める。
  7. 昭和音楽大学/昭和音楽大学短期大学部/昭和音楽大学大学院 ピアノ科講師 2023年3月31日 37年間の教授生活を終えて退任。
  8. 全日本リトミック音楽教育研究会会員。
  9. PTNA全日本ピアノ指導者協会正会員。
  10. PTNAりょうもうステーション代表。
  11. PITNAピアノコンペティション審査員。
  12. PITNAステップアドバイザー。
  13. 日本ピアノ研究会ジュニアピアノコンクール審査員。
  14. 北関東ピアノコンクール審査員。
  15. スタインウェイピアノコンクール審査員。
  16. ブルクミュラーコンクール審査員。
  17. バッハコンクール審査員 他。

生まれ ~ 留学

 

生まれ

母と一緒に生後100日
 

(1956年9月12日)北海道網走にて映画館を経営する父・長廻進と母郁子との間に長女として生まれる。
当時、網走は観光地として有名であったが、文化的・音楽的環境としては決して恵まれた場所ではなかった。

そんな地で、音楽好きな母親が「自分はピアノは弾けないが、是非子供にはピアノが弾けるように」と子供(私)をピアノの先生の所へ連れていったのは3才頃であった。
当時は練習が嫌いで、レッスンも休みがちで、なんとか続いている程度で決して喜んでピアノを習っていたわけではなかった。

 

それでも何とか続けられたのは、レッスンの帰り道にいつも母は喫茶店でチョコレートパフェやホットケーキをご馳走してくれたからだ。
つまりおやつにつられピアノを弾いていたわけである。

3才ピアノを始める
4才初めての発表会 みんなでオルガン演奏

音楽に目覚める

中学2年ピアノ発表会

中学3年の時、高校受験の勉強中、ながら勉強のBGMにしようと、たまたま家にあったクラシックのLPレコードを聴く。「こんなに美しい曲が、この世にあったのか!」と驚き、勉強そっちのけで母親が買い集めていたクラシック大全集のLPレコードを片っ端から聴き入る。
地元の公立高校(北海道立網走南が丘高等学校)進学後、今までサボって練習しなかった時間を埋めるがごとく一生懸命にピアノを弾き始める。「LPレコードで聴いたあの曲と同じ曲を弾けるようになりたい!」の一心で毎日約9時間の練習をする様になった。

「もっともっと上手になりたい!」の気持ちが大きくなり、音楽大学を希望するが、「どうせ無理」と言われる中、当時師事していたピアノの先生の出身校である国立音楽大学ピアノ科を受験、晴れて音大生となった。

国立音楽大学

文化の中心、東京での1人暮らしはコンプレックスとの戦いだった。
音大生となり、周りを見ると、幼少期よりエリート教育を受けて今ここに居るという同級生ばかりで、今までの自分との教育環境レベルの差に悩み「今から勉強するのは遅すぎないだろうか?」と絶望的な気持ちとなる。
それでも「努力は必ずむくわれる」と自分自身を励まし、毎日10時間の練習を卒業まで続ける。
国立音楽大学では、奥田京子先生、プライベートでは霧生トシ子先生に師事する。

 

留学

卒業が近づき将来を考えた時、「自分の音楽人生は始まったばかりだ。スタートが遅かった分、まだまだ勉強が足りない」と自覚していた。
ただやみくもに長時間練習するといった量ではなく、どうゆう練習が必要か効果的なのか、といった質こそが重要だと考え、多くの素晴らしいピアノニスト達が学んだ伝統あるウィーン国立音楽大学への留学を志す。
が、しかし言葉の壁が立ちはだかった。
中・高と習った英語も少ししか出来ないのにウィーンはドイツ語である。
これは直接ドイツ人に習うしかないと思い、語学学校ハイデルベルクにてドイツ語の特訓を受ける。
ドイツ語は文法が複雑で難しく、覚えるものが多く、大変だったが、留学という夢が私のエネルギーとなっていた。
経済的な面では、思い込んだら一直線という私の性格を知っている親が「ウィーン国立音楽大学の入学試験に一回で合格したら応援してやる」と言ってくれた。そして、私はたった1人、初めての海外へ片道切符でウィーンに出発した。

 
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